文明6年~7年

2007年7月12日木曜日

戦国150年ニュース

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応仁の乱~大坂夏の陣までのおよそ150年間を戦国時代と想定し 年代順に年表と記事を掲載。
 重要事項は年表に記し、特筆すべきエピソードは マークをつけ、記事にしています。
 間違いがあったらごめんなさい。

  1474年  文明6年
天皇 後土御門  将軍 足利義尚 
 1月11日   大内政弘が山城の寺社領を還付する。  
1月18日   朝倉孝景が甲斐八郎を越前杣山城に攻めてこれを破る。  
閏5月5日  畠山義就が日野勝光に帰参の仲介を頼む。 
6月26日   山名政豊らの西軍大名が将軍義尚に対面する。
  7月6日    山名政豊が山城の守護に。
 11月1日   加賀の一向一揆が守護の富樫政親勢と戦い、 
         守護代の小杉某を討ち取る。
 12月     朝鮮国王李ケツが幕府に復書する。

  ※政弘の寺社領還付の狙い  
義尚の任官で義視将軍化の路線に破綻をきたしたのを機に、 一段と盛んとなってきていた寺社本所の荘園回復運動に対し、その機先を制し、 かつ彼らの支持をつなげる目算から実施されたのが、 政弘のこのたびの山城における寺社領還付であった。

  西軍陣営の分裂  
西軍内部の対立は、4月23日の三条室町の米場における山名政豊と畠山義就の 足軽同士が弓矢合戦を演じたことから明らかなように、深まっていたが、 6月26日、山名政豊とその有志が将軍のもとへ帰参した事により、分裂状態となった。 
このときの和平折衝では土壇場で義視の処遇が問題となったのだが、 このためにそれまで和平に積極的だった大内政弘が同調できなくなり、 政豊と袂を分かつことになったからである。



  1475年  文明7年 
  天皇 後土御門  将軍 足利義尚
1月     大乱に突入して以来、室町第の仮内裏で初めて
         四方拝ほかの朝議が執行される。
 5月14日   大和の筒井舜覚らが大内政弘勢を山城の木津・天神河原に破り、
         武将の陶遠江守らを討ち取る。
 5月24日   この日から3日間、京都に大雨。 
 7月29日   禁中(皇室)に触穢あり。 
 8月6日    夜に大風雨あり。和泉や摂津の沿岸で海嘯(つなみ)が発生する。  
8月28日   幕府が竺芳妙茂を正使とする使節を明に派遣し、銅銭や書籍を求める。  
10月22日  山名政豊が小河第に義政を饗応。 

  ※賀茂川の氾濫  
5月の24日から26日にかけての大雨で、賀茂川の洪水に見舞われた京都では、 室町第の仮御所にも水が入り、2、3尺(約90センチ)の高さに達したという。

  ※空前の大風雨  
8月6日の夜半に京畿一帯を襲った大暴風雨は、 各所で家屋や殿社堂宇の倒壊を招くなど、多くの被害をもたらしたが、 摂津から紀伊の沿岸地方、とりわけ難波浦と大崎の被害は甚大であった。 
”数百年来”の海嘯が一帯を襲い、尼崎や難波では多くの被害者を出すにいたった。

  ※物忌(ものいみ)の励行  
日本の中世社会を通して盛んに行われた風習に ”物忌”(行いを慎み、心身を清めて不浄を除くこと)があり、 これに関わって”穢れ”の思想も浸透するのだが、 7月29日から始まったのは、禁中で死んだ犬の穢であった。
 服忌は5日間で、この間は寺社詣でをも控えるなど、謹慎をしいられた。

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