外国人の見た大坂の陣(6)
<大坂落城を経験した宣教師アビラ=ヒロンの
貴重な記録でつづる大坂両度の陣のすべて>
凄絶なる夏の陣
夏の陣は、東西両軍に出た空前の死者数によって示されるとおり、
凄絶を極めたものであったらしい。
その最後を飾る岡山・天王寺口の決戦で、
真田幸村が一度ならず家康の本陣を攪乱させたことは
ひろく人口に膾炙するエピソードである。
『イエズス会年報』にも、西軍の猛烈な士気に圧倒され
逃亡を繰り返す東軍のそのあまりのふがいなさに
家康はがっかりして切腹しようとまで考えた、という当時の風聞が載録してある。
これは、その馬標さえ蹂躙された家康が二度までも自害を決意し、
そのつど勢誉なる浄土僧に諌止されたという
『朝野旧聞哀藁』の記事と符号するのではあるまいか。
慶長二十年五月七日(1615年六月三日)午後
ついに大坂城に徳川勢が乱入し、
城も市街も焔と屍で生き地獄のような光景を呈した。
秀頼と淀殿は翌日、自害する。
アビラ=ヒロンは、事件当事者の談話を長崎で取材して、
精彩に富む叙述の筆を走らせた。
いわく「(ローマ詩人)ヴィルジリオの語るところも、
トロイのイリオンの滅亡の物語も、
この大坂落城に較べるならば、悲劇とはいえまい。
ここでは母にとって子は子でなく、さらに悪いことに、
子にとって父母は父母ではなかった」と。
悲嘆に暮れた母親は、敵の手にかかって死ぬくらいならと、
わが子をば河中に投げ込み、自らは投身自殺を遂げた。
婦人や女子は、敵の凌辱をうけぬよう、また奴隷の境遇に陥らぬよう、
その手にかけて殺してくれろ、と夫や兄弟に嘆願してやまなかったという。
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