重要事項は年表に記し、特筆すべきエピソードは
※マークをつけ、記事にしています。
間違いがあったらごめんなさい。
1496年 明応5年
天皇 後土御門 将軍 足利義高
1月7日 九条政基父子が殺人事件を起こす。
5月20日 日野富子死去。※
5月27日 豊後守護大友義右が父政親に毒殺される。
10月5日 畠山尚順が畠山基家と戦う。
12月7日 美濃守護代斎藤妙純と利親が土一揆に敗死する。
12月22日 少弐政資が筑前国高祖城を攻撃する。
※この年、蓮如が大坂に石山本願寺建設を開始。
※日野富子死去
8代将軍足利義政夫人で義尚の母である日野富子が、5月20日に57歳で死去。
16歳のときに義政夫人となり、1465年に義尚を産んで、
養子義視との対立から、応仁の乱の原因を作る。
義尚没後も将軍擁立には強大な発言力をもち、
義澄擁立の立て役者であった。
※蓮如が石山本願寺建立へ
蓮如82歳のとき、堺の豪商万代屋一族の松田五郎兵衛の協力によって、
隠居所を摂津国東成郡生玉荘大坂に建立。
これが石山本願寺の始まりであり、石山御堂・石山御坊とも呼ばれる。
1497年 明応6年
天皇 後土御門 将軍 足利義高
3月23日 大内義興が岩戸城と勝尾城を落とす。少弐政資は晴気城に移る。
4月18日 大内義興が晴気城攻撃。
4月19日 少弐政資が自害。※
4月28日 香西元長が和泉国堺と対立。堺に火をかける。
9月27日 山城国で洛北一体に土一揆発生。
9月30日 古河公方足利成氏死去。※
10月1日 筒井順盛が畠山基家の求めに応じて古市澄胤を破る。
11月28日 幕府が油座商人の関津通過許可。
※大内義興少弐氏を圧倒
南北朝以来の名族・少弐氏は政資の代となると、
大内義興の攻勢の前に劣勢となっていた。
政資は筑前国岩戸城・政資の子高経は肥前国勝尾城を拠点として抵抗したが、
義興の大軍の前に、3月23日に落城。
政資と高経は相前後して、肥前国晴気城に移動して抵抗を続けるが、
両者とも討死。
少弐氏の家督は資元が継ぐ。
※初代古河公方足利成氏没
鎌倉公方足利持氏四男で、初代古河公方の成氏が9月30日死去。
1449年より鎌倉に入り、将軍足利義成(義政)の一字をもらい成氏と名乗る。
鎌倉公方の内紛から関東管領上杉憲忠を殺して享徳の乱の原因を作る。
1455年以降、下総古河に移りさまざまな勢力と対立を続け、
古河公方として関東地方の有力勢力となっていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿