大坂の陣作戦研究(1)

2008年7月14日月曜日

戦国百科

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戦国総決算 大坂の陣

大坂の陣作戦研究(1)


<絶望的な状況のもと大坂方諸将はいかに戦ったか
 どのような作戦を立案実行する余地があったか>



出撃と籠城の場合

大坂冬の陣の開戦にあたって、
大坂方諸将の立案した最初の作戦をみると、
大坂城を出撃し遠く宇治・瀬田のあたりにおいて
東軍の攻撃を支えようとする主旨のものである。

その主たる目的はなんであったろうか。
戦術的に見るなら、このような作戦は、
敵軍の進出を遅滞させて時間を稼ぐ意味を持ち、
その間に本防御陣地を完璧たらしめるものである。

ところが、この場合はむしろもっと大きな政略目的のための
時間稼ぎであり、この作戦によって初動の勝利をとり、
西国大名のうちから大坂方へ与力する者の
出ることを期待するということであったらしい。

当時の事情からするなら、それは多くは期待できなかったにせよ、
必ずしも荒唐無稽の事ではなかったと思われる。
現に徳川方でも、福島正則をはじめ豊臣恩顧の大名の幾人かを
江戸に軟禁する有様であり、夏の陣においてさえ
浅野長晟(ながあきら)裏切りの浮説が出るほどであった。

大坂方は単なる期待だけではなく、
有力な西国大名に対し実際の働きかけを行っており、
ある程度の成果を考慮出来る事態であったと思われる。

ただ、その働きかけはこの作戦計画による
勝利という成果に併行して行われたものではないから、
現実にそれに応じた大名がいなかったことをもって、
その可能性ゼロであったと断定することはできない。

だが、この初期作戦計画は論議の末葬り去られ、
籠城案が決定してしまった。

その理由は、大坂城が金城湯池であり、
この城に拠って難攻不落のまま時を過ごせば、
遠く出撃してその戦勝によって得られるのと同様の効果が、
労することなく得られる筈だ、という点にあったようである。

元来、籠城という専守防御の戦法は、一定期間その城を持ちこたえれば、
外から確実に救援が期待できる場合に限って行うべきものであり、
それは現在の陣地防御と同じである。

ところがこの場合、西国大名の誰彼の与力を期待するといっても、
それはまったくの未知数にすぎない。
もしそうなら、この籠城策はまったくの愚策かといえば、
必ずしもそうとは言えない。

この場合の籠城はその規模・財力・その他の戦略案件が
一般の場合とは全く異なり、たとえば数年にわたる籠城ともなれば、
外からの救援が期待できなくとも、それなりに政略条件の変化により、
有利な事態を招来し得たとも考えられる。

だが、長期籠城ともなれば城内の士気は衰え、
秀吉が小田原攻めで成功したように、あるいは現に家康が実行したように、
城内の団結を切り崩すことが可能であった。

従って、将兵の士気という面からみれば、
出撃案のほうが積極的で有利かもしれないが、
遠く瀬田あたりまで兵を出してその目的を達するだけの練度を、
寄せ集めの大坂方各隊が持っていたかどうか疑問がある。

両案いずれが是か非か、一概に断じ得ない。
この際、消極策をとらず、
断乎、出撃案を取るのが結局は有利であったかもしれない。







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