明応3年~明応4年

2007年9月19日水曜日

戦国150年ニュース

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応仁の乱~大坂夏の陣までのおよそ150年間を戦国時代と想定し 年代順に年表と記事を掲載。 
 重要事項は年表に記し、特筆すべきエピソードは マークをつけ、記事にしています。
 間違いがあったらごめんなさい。 

  1494年  明応3年 
  天皇 後土御門  将軍 足利義材(義稙)→義高 

 3月26日   甲斐守護武田信縄が弟・信恵を破る。
 4月12日   伊達尚宗が蘆名盛高を頼る。
 7月6日   京都で大火災。 
 9月21日   足利義稙が越中で挙兵。 
 9月23日   三浦義同が三浦時高を殺害。 
9月28日   北条早雲が武蔵国へ初めて出兵。  
10月5日   上杉定正が上杉顕定と対陣中に落馬によって急死。 
10月18日  越前国守護朝倉貞景と加賀一向一揆・甲斐氏が衝突。 
12月27日  足利義高が十一代将軍となる。 

  ※扇谷上杉定正急死
1473年に甥の政真が古河公方足利成氏との戦いで戦死すると、扇谷上杉家を継いだ。
 1478年頃から山内上杉顕定と対立するようになり、 定正の誤解から太田道灌を1486年に殺害。 
1494年、顕定を攻撃するため10月5日、荒川を渡ろうとして落馬、急死した。

  ※足利義高室町幕府十一代将軍となる  
足利義澄は堀越公方足利政知の第2子として伊豆に生まれ、 1487年6月に上洛して剃髪。
 1493年3月足利義稙が河内に出兵した際、細川政元に擁立されて還俗した。
 同年6月に義高と改め、1494年12月に将軍となる。
 義澄と改名するのは1502年のこと。



  1495年  明応4年 
  天皇 後土御門  将軍 足利義高 

 6月14日   美濃守護代斎藤妙純と石丸利光が戦う。
 7月5日    石丸利光が近江に逃れる。 
 8月15日   鎌倉で大地震発生。 
 8月     大内義興が『大内氏壁書』を定める。 
 9月18日   周防守護大内政弘死去。  
9月29日   『新撰莵玖波集』が準勅撰となる。
 9月     相模国で北条早雲が大森藤頼を破り、小田原城を支配下に入れる。
10月13日  京都で土一揆が起こる。町衆などと戦う。 
 11月22日  長谷寺炎上。 

  ※大内政弘死去  
9月18日に大内政弘が没した。50歳であった。 
応仁の乱では西軍の中心的存在で、乱収束後は周防山口で公卿・禅僧などを保護。 
雪舟もその一人である。

  ※北条早雲が小田原進出  
1491年。 伊豆に侵攻した早雲が9月に小田原城を手に入れ、関東進出の基礎を作る。
 扇谷上杉定正急死後の関東情勢の変化に対応した動き。
 鹿狩りを利用した有名なエピソードがある。

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